例えば「○○しなさい!」と親に言われた、もしくは自分の子供に言った経験はないでしょうか。

大抵は言ったことをしてくれないで終わると思います。これは子供に限った話じゃありません。

ということで今回は、相手が自分の期待通り行動してくれないことに対する考え方を書いていきます。

目次

馬が水を飲んでくれなかった時の話

本題に入る前に私が乗馬へ言った時の話をさせてください。母の知り合いで乗馬を営んでいる方のところへ遊びに行った時の話です。

何度かそこで乗馬を経験したある日、馬主の人から「馬の耳の裏が汗で濡れていたら疲れているからね」と教えて貰ったことがあります。

山にある長めの乗馬コースを走らせている時、ふと馬の耳の裏を見ると汗で濡れていたことに気が付きました。「ああ、これは疲れているんだな」と思った頃、たまたま近くに川があるコースを走っていました。

当時は夏だったこともあり馬は水が飲みたいだろうなと思った私は、一旦降りて川まで連れて行きました。水を飲んでいいよと、馬の顔を訪ねで引っ張っていました。しかし、当の馬は全く水を飲もうとしませんでした。

こちらとしては気を利かしたつもりだったのですが最後まで水を飲もうとせず、結局、馬小屋まで帰っていきました。しかも馬小屋に帰った馬は水ではなく藁を食べ始めました。

そんなことを馬主に話してみたところ大笑され、こう言われました。

「そりゃあ、馬からしたら人間の都合で駆り出されたんだもの。休憩するくらいなら一刻も早く帰って馬小屋でのんびりしたかったのさ」

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない

この経験にピッタリ当てはまる「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。

その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。

引用:ことわざ辞典ONLINE

つまり本人がやるかどうかは本人次第であり、その気がなければ無理矢理やっても無駄なのです。私が「せっかく馬の為にしてあげたのに」と思ったことは、馬からすると大きなお世話でしかなかったのです。

さて、冒頭で言った「○○しなさい!」も、実はこれと同じことが言えます。言われた他者からすれば自分がやりたいと思わないことを他人から、しかも強制されてやろうとは思わないわけです。

つまり他人が自分の思い通り動かない理由は、自分が期待していることを他人がやってくれないからそう思ってしまう現象なんです。大げさに言うと「他者は貴方の期待を満たすために生きているわけじゃない」ということです。

課題の分離

ならば他人を思い通り動かすにはどうしたらよいか。なんて調べてみると「人を思い通りに動かす心理学のテクニック」なんてタイトルの記事がわんさか出てきます。

こういったテクニックが有効な場合もあると思いますが、そもそも他人を自分の思い通りにしてやろうという考え方自体を捨てた方がいいです。その考え方をアドラー心理学では「課題の分離」と呼んでいます。

例えば子供に勉強させたい場合「勉強しなさい!」と言ってやるかどうかは本人次第ですよね。まぁ、そんなこと言ってもやってくれない確率の方が高いでしょう。

そこで課題の分離を行います。やり方は、他人にやってもらいたいことが「自分の課題」か「他者の課題」で分離します。課題の見分け方は「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」で考えます。

もし勉強しなかった場合の不利益はどちらか。明らかに子供が被ることになります。したがって、今回の例で言えば「勉強すること」は子供の課題であり「勉強させること」は親の課題というわけです。

ここで注意しなければいけないのは、この「課題の分離」というのは放任主義を推奨しているものではありません。もし本人が勉強したいという意欲があるのであれば、そのサポートをすることは親の課題となります。

原則、課題は本人が解決すべきですが、そのためにこちらは援助をしてあげられるよとメッセージを送ることも重要です。強いて言えば、この信頼関係を築くことで他人が自分の期待通り動いてくれる可能性が出てきます。

「○○しなさい!」と水辺まで連れていき、なおかつ無理矢理水を飲ませようとするか。援助という形で水辺まで連れて行くが、飲むかどうかは本人次第だと割り切るか。

どちらにせよ水を飲むかどうかは本人の問題です。「あなたのため」と思って行動しているうちは、他人をコントロールしようとしていることに気づかなければなりません。