HaLucinaはアンパン・饅頭・どら焼き・おしるこなど、餡を使う菓子を食べるなら完全なるこしあん派でございます。

つぶあんは食べられなくはありません。ありませんが、正直避けられるなら避けたいぐらい好みじゃありません。

なぜ、こしあんが好きな人は、つぶあんを避けて通る人生を選んでしまったのか。1人のこしあん派として理由を述べてみようと思い立ちました。

目次

「餡」を味わうためには「つぶ」が邪魔だと感じる

まず大前提として「餡」が好きです。餡ほど独特な風味かつしつこすぎない甘さを両立できる甘味は無いと思います。

アンパン・饅頭・どら焼きを食べる時のことを思い出してみると、大体3つの要素に着目している自分がいます。

1つ目は先程も述べました餡の「風味」。言い換えると匂いや香りを味わいたいという思いがあります。

2つ目は餡を包む部分。アンパンのパン、饅頭の皮、どら焼きの皮も美味しい。それらと餡が調和した味も大切な要素なのです。

そして3つ目、かつコレが一番重要だと考えています。それは餡の「舌触り」です。

餡って独特な舌触りがあるじゃないですか。簡単に言えば砂糖特有のざらざらが。だけども滑らかという表現もまた餡は持っている。これほど重要な要素はありません。

まるで2つの顔を持つ餡。大げさに言うならば、舌触りという要素が1つ目と2つ目の要素をより一層引き立て、楽しませてくれる重要なポジションだと断言したい。

この3つがこしあん系の甘味を好む理由ですが、特にこしあんを好む理由は何かと問われれば「舌触り」が重要な役割を果たしていると私は思うのです。

ところが、これがつぶあんになった途端、急に甘味を楽しむことができなくなってしまうのです。その理由は「楽しみにしていた舌触りが豆でテンポロスする」からだと考えています。

つまり土台である舌触りが、豆の登場によりわざわざ噛まなければいけないのです。そして饅頭などの皮部分。それが豆のせいで味わい難くなっている気がするのです。つまり余計なものが入っている気分になります。

先程の説明を端的に表すなら「餡 + 餡以外の部分」と表せます。つぶあんになると「餡 + 餡以外の部分 + つぶ(豆)」となります。

そもそも小豆が苦手

実は私、小豆をそのまま食べられるかというと苦手です。正直、嫌いな部類に入ります。どうしても合わないんですよね。ちょっとこれは自分でも疑問です。

なので、おしるこをつぶ有りで出せれると物凄く困るのです。小学の給食で出た際は小豆だけを残して先生に怒られた記憶もあります。

別に餡が嫌いじゃないんです。小豆が嫌いなだけなんです。こしあんだったらいくらでも食べることが出来ますと訴えて、言い訳するなと言われたものです。

ところで、皆さんの好き嫌いの中に「○○は嫌いだけど△△だったら食べれる」という食品ありませんか。

例えばカボチャそのものは嫌いだけどカボチャスープは好きとか。栗そのものは嫌いだけどマロン系のお菓子は好きとか。

でも餡に加工されると美味しく食べることが出来ます。もちろんつぶは取り除いて欲しいのですが。

先程のカボチャや栗と同じように「そのものを食べることは好きじゃなくても調理にひと工夫されると食べられる」というのも、こしあん派がつぶあんを好まない理由の1つではないでしょうか。

コレに関しては、こしあん派全員が当てはまる要素じゃないと思います。が、私と同じような境遇の方もいると思うので書かせていただきました。

こしあん派は「つぶ」の需要が無い

まとめると、こしあん派は「つぶ(豆)」を求めていません。餡と、餡を包む何か。もしくは餡と一緒に食べるものと調和したものを食べたいのです。

きのこたけのこ程の対立をするつもりはありません。何度か言っていますが、私はつぶがあっても食べられなくは無いレベルです。子供の頃は厳しかったですが大人になってからはマシになった自覚があります。

けれども、私の中にある餡を楽しみたい気持ちには、豆の存在は邪魔に感じてしまうのです。こしあん派は、ざらざらのような滑らかのような餡で満たされたい欲があると言っても過言ではありません。

何度かつぶあん派の人に好きな理由を聞いたことがあります。大体こんな回答な印象があります。

  • 小豆そのものが好き
  • 食感、歯ごたえが好きで、こしあんだと物足りない
  • つぶで食べた方が甘みも風味も違う

といった感じです。

なんだかつぶあんを愛している人の方が、より餡を奥深く堪能しているように感じます。正直こしあんでも認めざるを得ない要素です。

そこまで理解はしているんですけれども、やはり食べるなら「こしあん」に軍配が挙がります。

一言で片付けるなら、こしあん派の人には「つぶ」の需要が無いということです。