「誰が言ったか」よりも「何を言っているか」が重要ではないだろうか
私のブログでは漫画の名言を引用することがあります。心に響いた、人生の教訓にしたい、元気や勇気が湧いてくるからなどの理由から紹介しています。
しかし最近ツイッターを眺めていたら「架空や何でもない奴が言った台詞を名言って評価するのどうなの?実際にそうしたわけでもないじゃん」というニュアンスで呟いているアカウントを見かけました。
一理あると思います。説得力という点でいえば実際にやってのけた人の言う言葉には強い信頼があります。だからといって私は全部肯定できません。
架空だろうと嘘だろうと、その人にとって名言だと思えば名言なのではないでしょうか。
目次
みんな大好きイチローの名言
とてつもない偏見であることを承知で言うのですが、世間ってイチローの名言が大好物ですよね。
なんでそんな偏見を持ってしまったのかというと本での引用や何かしらのセミナーを受けた時に「イチロー選手が……」とか「成功したイチローの考えは……」という決まり文句が妙に頭に残っているせいだと思います。
最近だと「おしえて!イチロー先生」という題目でyoutubeに動画がアップされているのを見かけました。内容もイチロー節が効いてるものばかりなので、興味ある人は視聴して損は無いですよ。
「イチロー 名言」で調べればGoogle検索結果でごろごろ出てきます。イチローだけじゃなく中田英寿とか、いわゆる一流のスポーツ選手の名言やマインドがまとめられた記事もたくさん出てきます。
それだけ皆から尊敬されているからこそ、こういった選手達の名言は注目されるのでしょう。
だからこそ正直な話、私はイチローの名言があまり好きじゃありません。正確に言うと「単にイチローの名言を発しているだけの人や媒体」が好きじゃありません。
なぜかというと名言を安売りしている印象があるからです。とりあえず実績ある人が言っているから納得するだろうという使い方をしているからそう思ってしまうのかもしれません。
更に言うと「イチローのような凄い人物が言うんだから間違いない」という受け手が一番好きじゃありません。
なぜなら台詞に着目せず誰が言ったかで価値を判断しているからです。
「誰が」言ったかより「何を」言っているのか
ちょうどよい具体例があるので紹介します。
If nothing is displayed above this, "Tweet ID:1214283603233783808" has been deleted.
ソクラテスの格言についてツイートした方の話です。
ソクラテスと無知に関する話は「数学の言葉で世界を見たら」という著書で何となく知っていたので、自分もへぇ~と感心して眺めていツイートでした。
われわれは自分が知らないことを発見することはできないし、そのようなものを探求すべきでもないというふうに考えるよりも、人は自分が知らないことを探求すべきであると考えることが、よりすぐれた者であり得るし、より勇敢であり、怠けない者であり得るのだ。
しかしこのツイート「それソクラテスが出典じゃねーよ」ということで炎上しました。叩いている人達は、とにかくソクラテスが言ったことじゃないことに拘っていた様子でした。
そんな様子を見ていた私の感想は以下の通りです。
If nothing is displayed above this, "Tweet ID:1214844609416679424" has been deleted.
重要なのは言葉を聞いた自分が人生にどう反映させるか
今回伝えたいことは 「誰が言ったかなんて関係なくね?」 ということです。
台詞に着目せず、凄い人が言ったかを重要視した色眼鏡で見ているから架空の台詞を名言だと思えないのでしょう。
名言の本質って「自分が見逃していた角度を知る」術です。その角度を見ている人が自分より凄い人なのか、大したことない人なのか、そもそも架空の人物なのかは関係ありません。
どこの誰が言ったかわからないことに着目するよりは「こういう考え方がある」ことを知り、自分の人生に反映させる方が有意義です。
したがって、架空だろうが本人じゃなかろうが実際に成し遂げた人が言ったかというのは重要じゃないと思います。
ましてや、せっかくの名言を聞いたにも関わらず「自分とイチローは済む世界が違うから」とか「天才と一般人は違うから」などの理由を付けて何も実行しなければ意味ないですよ。
そっちの方がよっぽど「架空の名言」のように思えます。