意味を誤解された名言について考える
日本には広く知れ渡って有名になった言葉がたくさんあります。
ことわざ、四字熟語、あるいは俳句にも深い意味が込められています。
故人が残した言葉が広く知れ渡って有名になったものは『名言』と呼ばれます。
今回は、その名言の"中身"が誤解されていることについて、 自分が経験したことも踏まえながら話していきたいと思います。
報連相
学生の皆さんには馴染み無いかもしれませんが『報連相(ほう・れん・そう)』というビジネス用語があります。「報告」「連絡」「相談」の3つの単語を『ほうれん草』と掛けてできた言葉です。
私が数年前に購入した新人マナーの本を開いて報連相の項目を見てみました。
【報告】 自分が指示や命令に取り組んだ仕事に対して、途中経過を報告すること【連絡】 自分自身に関連する状況を関係者に知らせること
【相談】 自分だけで判断せず、業務上の判断指示を仰ぐこと
書かれていることは世間一般が常識とされている報連相の内容で間違いないことでしょう。
これ全部、本来の意味と違います。
本来の意味である『報・連・相』は以下の通りです。
【報告】 新入社員や部下が報告しやすい環境を作る【連絡】 すぐに情報を展開できる環境を作る
【相談】 新入社員や部下が上司に相談しやすい環境を作る
前者と後者の報連相にある違いは『上司が環境を作る』か、『部下が行動を意識する』かであることです。
じゃあ『報・連・相』って本当は上司がちゃんとしなきゃならないことじゃん。
うちの上司ってゴミクソなんだな。
っと、思うかもしれませんが、実はそういうことでもないので注意してください。
確かに馬鹿の1つ覚えのように報連相を盾にして部下を叱りつける上司は、100%無能な上司だと捉えて構いません。
が、それはマネジメントの知識やフィードバックやり方を知らないなど、問題は別な部分にあります。
今日お伝えしたいことは『言葉の本当の意味を知ること』です。
そもそも、これを提唱した『山崎富治』という人物は『社内の環境を整えるため』に唱えたものなんです。
組織がちょっと大きくなったとたん、どうも社内のタテ・ヨコのつながりというか、情報の流れというか、そうしたことが、ぎくしゃくしはじめたきらいがある。こんなことがくり返されるようだと、私は、会社が大きくなったメリットより、下手をすればマイナスのほうが大きくなってしまうと思った。 もっと、上下の報告がきびきびと行われないものか、左右の連絡がスムーズに取れないものか、上下、左右にこだわらない腹を割った相談がなされないものかと。
引用:ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学
山崎富治さんが大きくなっていく会社で円滑な連絡をとるためにはどうしたら良いかと考えた結果、報連相は誕生しました。
上下左右の情報伝達をスムーズにするためにはどうしたら良いかという問題と向き合った結論が『報連相を皆で意識することは社内の風通しを良くする』ことだったんです。
引用文を見てわかる通り、部下が報連相を徹底すべきだという意味で唱えたわけではありません。
また、上司がちゃんとしなければならないということでもないのです。
お客様は神様です
もう1つ、中身が誤解されている名言と言えば『お客様は神様です』が有名だと思います。これは『客は金を払う立場なんだから、神様のように扱うべき』という、品の欠片もないクレーマーのためにある名言になってしまいました。
この名言を生んだ『三波春夫』のオフィシャルサイトで本来の意味が紹介されています。
歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。
また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです
引用:
今では貴重な経験だったなと思えますが、私がマックでバイトしてた時この言葉と遭遇した機会がありました。
当時の私がビッグマックの作り方を教わっていた頃『レタスは多めに入れろ』という注意を受けたことがありました。
その時の理由が『昔、この店に来た客にレタスが少ないと指摘されて以来、ビッグマックのレタスは多めにする決まりになったからだ』と言われました。
もちろん私は納得してませんでした。
なぜならビッグマックを注文して自分が食べてみた時に、明らかにレタス多すぎだろと思ったからです。
そして、商品の写真と比べても明らかに野菜の割合が多すぎに見え、過剰じゃないですかと訴えたことがありました。
帰ってきた答えは『客は神様だって言葉しらないのか?』だったことを覚えています。
しかし、新しい店長が来てからすぐ改善されました。
何も考えてない人は肩書がある人が言うと驚くほど素直に従うんですね。
都合の良い解釈は歪んだ結果を生み出す
結局のところ、何も考えないで行動することがダメなんです。ただ言われたことをやるだけの作業なんてロボットやAIなどのプログラムにやってもらえばいいんですから。
なんのための脳みそなんでしょうか。
考えたり、疑問に思ったりするためにあるはずです。
なので、考えて疑問をもったこと意見にしたけど、根拠の薄い否定をされた人は胸を張ってください。
主体的で素晴らしいと私は思います。
先で言った『報連相』の話と被りますが、誰が何をしなきゃならないという思考がそもそもダメなんです。
この2つの名言に共通することは『都合の良い解釈をされた結果、現在の歪んだ用法に至った』ことです。
歪んだ用法からは、さらに歪んだルールを引き起こします。
誰かの言葉や行動、元々あるルールに対して自分に都合の良い解釈を上乗せするから伝わらないんです。
部下だろう、客だろうと、どうしたら相手のためになるかなと主体的に考えることが真のコミュニケーションではないのでしょうか。
それと正しく向き合えた時、これら名言に含まれた真意が見えてくると私は思います。