今までたくさんの無駄な仕事に出会い、無駄な仕事をやる理由を上に問い詰めた結果、会社全体で嫌われた経験がある私です。

誰が見るのこんな仕様書みたいなのを散々作った記憶が蘇ります。ソースコード読めばいいじゃんって何度思ったことか。

一般企業であれば、例えばたった一度きりしか使われないパワポの資料とか、要点だけメールで配信すりゃいいのに全員分紙に印刷なんかが該当するんでしょうかね。

あとは朝礼とか上長のハンコとか、メール冒頭で使われる「お疲れ様です。○○です。」とか。会社が仕事を舐めてるとしか思えない。

そんな無駄 of 無駄で溢れかえっている世の中で1つだけ、ほかは100歩譲れてもコレだけは許せない無駄な仕事について語ろうと思い立ちました。

というわけで今回は「責任逃れから発生する無駄な仕事」について綴ります。

目次

「ここでは自転車を降りてください」という看板の存在

私の身近に典型的「無駄」かつ「責任逃れ」な丁度いい実例があります。「ここでは自転車を降りて下さい」という看板です。

帰り道に通る道路橋の下に「ここでは自転車を降りて下さい」という看板が建てられています。

結論から言うと、この看板の通りに自転車を降りて通っている人を一度も見たことがありません。もしかしたら存在するのかもしれませんが、まず見かけません。

看板が小さいかといえばそうでもありませんが目立っているわけでもありません。というより自転車乗っている人のほとんどは認知しつつも無視して通過している可能性が高いです。

しかし自分も自転車に乗っていたらしっかり降りるのかと問われたなら、素直に降りて自転車を押すようなことはしないでしょう。

なぜなら道路橋の間は5〜6mくらいしか無く、そのためだけに降りて歩くのは自転車目線で見ると馬鹿らしいです。なんとまぁ死ぬほど無駄な看板なのでしょうか。

だとしたら、なぜこのような看板が建てられたのか。個人的な予想でしかないのですが、以下のような観点からクレームでもあったのかなぁと考えています。

  • 道路橋下は、どちらかといえば間隔が狭く歩行者も利用するため自転車に乗ったまま横切られると危ないから
  • 保育園が近くにあり、この歩道橋は園児達の散歩コースにもなっているため自転車は降りてほしいという要望があった
  • 道路橋をくぐり抜けてすぐ車道に出るが、手前で左右の見渡しが出来ないレベルなので自転車がそのままの速度で抜けると事故に繋がりやすいから

こんなところでしょうか。

建てたのが国か県かしりませんが、おそらくこういった要望(あるいはクレーム?)に応えた結果が「ここでは自転車を降りて下さい」看板誕生に至ったのではないかと予想しています。

あの看板は責任逃れの為に建てられたものではないか?

しかしですよ。実際、看板が建ってしばらく経ったにも関わらず状況は改善されておりません。そりゃそうです。根本的な問題が解決されるような仕事をしていないのですから。

仮に私が先で述べた要望を受け取ったなら、問題は「自転車を降りて歩くルール設けられていない」ではなく「どうしたら自転車を降りて歩くようになるか」という方法に目を向けますね。

例えば自転車を降りなきゃ通れないようなものを設置するとか有効じゃないでしょうか。以下のような車止めとか。

車止め 車止め

コストの問題もあるでしょうけれども、何の効力もない無駄な看板を建てるよりも遥かに将来的期待が持てる仕事になるはずです。

安易に看板設置したところで自転車が止められないのなら金の無駄です。仕事としても無駄です。むしろやらない方がいいものだと思います。

では、なぜあの看板が建てられたのか。私が思うに、あの看板は

「我々は要望をちゃんと受け取りました。その為の仕事をしました。証拠はこれです。それでも改善されないのであれば、悪いのは当事者たちであって、こちらに責任はありません」

というメッセージにしか見えないんですよね。

少なくとも何かしらの形で要望は叶えたよ。だからこっちに文句言わないでねって……。

良い仕事をした気でいるなら論外

組織の中には責任回避する為にやっている無駄な仕事が散見されます。私の経験上、報告書系の文書作成で多く見受けられる気がします。

以前いた会社では「誰が・何時に・誰と・何の会話を・どこでした」というものをノートに書かされたことがあります。

電話の録音とか、見積書とか、最悪その時にメモした紙でも一緒に保管しとけばいいだけの作業に全く同じことを書かされたのです。

なんでそんなクソみたいな手間が発生したのか理由を聞いたところ、昔コンプライアンス違反をして以来、逐一ノートへ記述するルールになったと言っていました。

控えめに言って頭がおかしいです。うちは悪くありません。だって証拠があるもんといった前時代的手法です。

しかも最悪なことにノートに書いたことで良い仕事をした気になっている組織でした。馬鹿じゃないのかと。「どうしたらこちらに責任が無いと証明できるか」に注力しちゃっているんですよ。

根本的に一番大事なのは「どうしたら問題が起きなくなるか」じゃないんですかね。

「責任を回避する仕事」という間違った概念で問題を定義するから、問題が先延ばしになるだけだし、むしろそのせいで新たな問題を再生産してしまうんですよ。

こんなことで仕事した気分になっている会社が多いから嫌なんだよなぁ……。マジで論外。