ブキを使うのが上手くなっても楽しさは必ず比例しない
あるフォロワーさんが以下のように呟きました。
うちが赤スパ使っててこんなに楽しいと思うんだから、きっと上手な方はその100倍ぐらい楽しいんだろうなぁ
これに対し私は「楽しいは上手さに比例しないと思うの(';')」とリプをしました。
上手ければ楽しくなるというのは合理的な考えだと思います。しかし、私の経験上、必ずしもそうだとは思っていません。全くの否定はしませんが少し違う視点を持っています。
結論から言うと「楽しいのベクトルが違う」と考えているのです。というわけで、この結論に至った理由を自分なりに整理し書き出していこうと思います。
目次
初心者の頃と比べても特に楽しさは変わっていない
3年前スパッタリーでランク入りしたい、名前を残したいとガチマに潜っていた時期がありました。
最後にはガチアサリで念願のランク500位以内に入り王冠付きの名前でフィニッシュしました。当時スパッタリー(赤)だけでみればガチアサリで2番目に上手いプレイヤーになったことがあります。
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さて、冒頭でフォロワーさんが呟いたことを鑑みると、当時の私はスパッタリーを100倍楽しんでいたことになるでしょう。答えはYesでもありますしNoでもあります。いえ、むしろ「苦しかった」ことの方が大きく記憶に残っています。
なぜなら「どうして俺はもっとスパッタリーを使いこなすことが出来ないんだ」と苦しんでいた時期でもあるからです。または「もっと上手くなりたい」と気持ちに余裕が無くなっていた時期でもあります。
負けた時に思うのは当然ですが、実は勝った時にもそういう気持ちが起きていました。理由は、勝ち試合の全てが決して自分の思い通り動かせた試合ばかりじゃないからです。
味方に恵まれて勝っただけのも含だ試合だってありました。たとえ勝ち試合だとしても、それが自分にとって心の底から楽しめる試合かは別なのです。
もちろんランキングで最終王冠に残れた瞬間は100倍楽しかったと言えます。目標達成できたわけですし、上手いスパッタリー使いの1人になれたはずですから。
ただ、初心者の頃に比べ100倍楽しめるようになっているかといえば「特に変わらずスパッタリーで楽しんでいるよ」というのが本音です。
当時を思い返してみても、試合毎に勝ち負けで一喜一憂しては次の試合を淡々と繰り返していました。そんな中でもスパッタリーを使う楽しさは、初心者の頃からずっと変わっていなかったように記憶してます。
初心者の頃と比べ明らかに上手くなっているでしょうけれども、楽しさが倍増したとはあまり感じていません。
「勝って楽しい」と「ブキを使っていて楽しい」は別
ここからは理屈っぽいことを綴っていきます。
まず、楽しいは2種類に分けられると考えています。その2種類とは「勝って楽しい」と「ブキを使っていて楽しい」です。勝手な解釈ですが、フォロワーさんの言う100倍楽しいの定義は
「スパッタリーを使っていて楽しい × 勝って楽しい = 100倍楽しく感じる」
というふうに感じました。正直な話、同意です。むしろ理想的な状態だと言えるでしょう。
しかし、上手くなりたいという目的は「使っていて楽しくなる為」よりも「勝って楽しくなる為」に設定するものです。
したがって、先程の定義を私になりに変えると
「スパッタリーを使っていて楽しい + (上手くなる × 納得のいく勝ち) = 100倍楽しく感じる」
というのがあるべき姿じゃないかと(人によっては勝ちなら何でもいいとかありそうだけど)。これが冒頭で述べた私の持つ少し違う視点の正体です。
先程述べた通り「使っていて楽しい」と「勝って楽しい」は分けて考えるものであって、上手くなることが必ずしもブキを使う楽しさに直結(比例)する要因とは限らないんです。
上手くなって楽しさが比例するというのは「上手くなる × 納得のいく勝ち = 勝って楽しい」という状態のことです。これに「使っていて楽しい」も加わって、より楽しくなるというのが100倍楽しく感じるカラクリと考えています。
逆に、勝てないことを理由にスパッタリーを使うこと自体が楽しくなくなる可能性だってあるわけで
「スパッタリーを使っていて楽しい + (上手くなる × 負け)」
だった時「スパッタリーを使っていて楽しい < 負け」であれば、勝てないことを理由にスパッタリーを使うことが楽しくない気分に侵されるでしょう。ブキが楽しいから使っていたはずが、勝てば楽しくなるという目的にすり替わってしまった状態といえます。
「スパッタリーを使っていて楽しい > 負け」であれば、別に勝てなくても使ってて楽しいままなはずです。また「上手くなる」部分で「別に強くなりたいわけじゃない」という場合も同じ結果になるでしょう。
よって、上手になって楽しさが比例してると思う正体は「勝って楽しい」ことであって、「ブキが楽しい」ことが比例しているわけじゃないのです。
楽しいと思う気持ちに実力差はありますか?
先で述べた2つの楽しいは、加算は出来てもベクトルが異なる(楽しいの方向性が完全に一致していない)ものですし、必ずしも組み合わせる必要は無い要素達ではないでしょうか。
話を最初に戻すと、上手い方がより楽しめるだろうというのは同意です。けれども、上手くなった方がより楽しくなるかと言われれば、必ずしもそうではないだろうというのが私の意見です。
現実の話に落とし込んで考えてみましょう。例えば絵を描くのが楽しいけど絵は下手という人がいるじゃないですか。逆に絵を描くのが楽しいし絵も上手い人だって当然世の中に存在します。
この時、絵が上手い人と下手な人が持つ「楽しい」という気持ちに差はあるのでしょうか。純粋にスパッタリーを楽しんで使っているウデマエAと実力十分なスパッタリー使いの間には、果たして楽しいと思う気持ちに差があるのでしょうか。
ゲーム「テイルズオブリバース」に「ピーチパイの演説」という有名なシーンがあります。超簡単にあらすじを書くと
- ヒューマとガジュマという人間達が済む世界ああり、この2種族感では酷い差別が問題になっている
- ひょんなことからヒロインのヒューマ「クレア」とガジュマの姫「アガーテ」の心が入れ替わった
- なんやかんやあってアガーテ(クレア)が処刑されそうになる
この処刑されるシーンで演説するクレアの名言が、今回の件にピッタリ合うと思うので、内容をご存じない方は以下の動画をぜひともご覧ください。
結局、私は何が言いたいかというと「美味しいと思う気持ちに種族はありますか?」のように「楽しいと思う気持ちに実力差はありますか?」ということなんです。
スパッタリー好き同士なら「ウデマエ低いスパ使いは使いこなせて無くて楽しくなさそう」なんて思わないんですよ。
むしろ私よりパワーが低くても「あの人のスパッタリーめっちゃ楽しんでる」と感じられる人の方が好きだなぁ。