以前 「からあげは手抜き」 1だとか 「ポテサラ爺」 2 などの発言により、どの料理が手抜きだの手抜きじゃないだのという論争が勃発していましたね。

ポテサラ爺みたいな人間が批判されるのは最もだと思います。便利な惣菜も手抜き呼ばわり。そりゃ普段作ってもいなさそうな奴から言われると腹が立ちますとも。

どうもこういった人たちは 自分の立場を偉いと勘違いしている 傾向があります。ただ思い返してみると、子供の頃の自分にも反省すべき点があったなという思い出もあります。

話題的に良い機会なので、私の思う手抜き料理に関するエピソードなどを綴ってみます。

目次

手抜き料理の定義

私事ですが、アレは手抜き料理だったなぁと思える具体的な思い出があります。それは母が作ってくれた蒸しパンのことです。

小学生ぐらいだったでしょうか。私の母は気が向いた時にお菓子作りをしていました。

趣味だったのかもしれませんし、よく私が「ホットケーキが食べたい・カステラが食べたい」と、リクエストをしていた時期でもあったので、たまたま子供の頼みを聞いて作ってくれていたのかもしれません。

いずれにしても母の作る蒸しパンが大好きで、毎回おいしく食べていた記憶があります。

ある日、友達が家に遊びに来た時、母がおやつにと蒸しパンを作ってくれたことがあります。

ところが、普段作ってくれている蒸しパンと違って非常に甘く、風味も強くなっていることに気が付きました。

HaLucian「母さん!今日の蒸しパン凄く美味しいね!どうしたの!?」

母さん「今日はアンタの友達が来るから、ちゃんと計量してハチミツを入れた 蒸しパン作った」


HaLucina「(';')」

母が手抜き料理をしていたとしたら、唯一この蒸しパンがそうであったという思い出でした。

私が思う"手抜き"の定義は、以前書いた記事でこう述べています。

対して手を抜く怠け者の動機は

  1. 「省いてもバレなさそうな手間」 を考え出す
  2. 「精度が低くても大丈夫そうな部分」 を探る
  3. 「いい加減な仕事」 を実施する

というループを繰り返します。手を抜くを定義するならは 「必要な手間を省き、品質を下げる行為」 です。

したがって、手抜き料理を定義するならば 「手間を省いたことで品質を下げた料理」 だと言えるでしょう。

手抜き料理=体に毒?

手抜き料理が悪だと決めつけられている理由に 「添加物悪玉論」 というものが世に蔓延っているのも原因でしょう。

要はカタカナの入った添加物は避けたほうが良いという内容です。そういえば黄色○号のような人口着色料なんかも危ないと家庭科の授業で習った記憶があります。

が、こういった知識で偏っている人は、とにかく摂取すること自体悪いという考えに支配されすぎな気もするんですね。

例えば以下のYahoo質問にある夫の話とか。精神論で語る管理栄養士とか。

確かにコンビニの弁当などには健康を害する添加物が含まれているでしょうし、栄養バランスを考え手間暇かけた手料理は健康的な人生の礎となることでしょう。

しかしながら、それを周りにまき散らしたり強要したり、とにかく危ないから食うなと脅す方がめちゃくちゃ迷惑ではないでしょうか。

いくら体に良くてもストレスを溜めてしまうような生活してたら意味無いですからね。むしろ添加物を気にする(というかさせられる)ことでストレスを貯めることの方が毒です。ストレス溜めたほうが死に近くなりますよマジで。

逆に体の健康に良いものでも適量じゃなければ毒になる例もあります。緑茶は体に良いとされていますが飲みすぎれば毒になります。

体に良い物と悪い物の適量を自分で判断できない人ほど「コンビニ惣菜・簡単な料理は悪=手抜き料理批判」 している気がします。要は自分で料理をしない人ほど手抜き批判するように思えてならない。

で、君は文句を言える立場なのかい?

かなり昔に聞いたセリフで曖昧なのですが、中尾彬が料理番組か何かで 「俺は美味けりゃ何も言わないんだよ」 と言っていたことがありました。

その後、母が作ってくれた晩御飯を食べている時、私は中尾彰のモノマネのつもりで上のセリフを言ったことがあります。当然、叱られました。

「あんたはアタシを召使いか何かと勘違いしてんのか!」 と。

ただ中尾彰のモノマネをしただけのつもりだった私は、母が叱ったことの本質を理解できず、とりあえず怒られたことに対してシュンとなっていました。

歳を重ねた今では言ったことの本質が理解できます。特に冒頭で紹介したポテサラ爺のような人間に対して言い聞かせるべき言葉ではないでしょうか。

自分で作ってもいない癖に文句を言うのは筋違いです。ましてや、母さん、あるいは奥さんとは、金を払って飯を作って貰う召使いのような関係じゃないはずです。それが普通だと思っているならば大変な裏切り行為じゃないでしょうか。

「そうは思ってない。ただ味に文句があるんだ。それに市販の物は健康に悪いだろ。」という屁理屈亭主もいることでしょう。そんなに美味しい手料理や健康を気にした物を作って欲しいのなら、奥さんが料理に注力できるよう自分も協力すべきでしょうに。

それも嫌なら自分の舌が満足出来る高級料理を食べられるよう普段から稼げよ、と思うわけです。

結局、手抜き料理で文句を言いたい人というは

  • 味が落ちているのが気に食わない
  • 手を抜いて作る・買うこと自体が気に食わない

こんなところじゃないでしょうか。

先で話した母の蒸しパンは手抜き料理です。しかし、計量が正確じゃなくハチミツが入っていなくても十分に美味しかった。

ゆえに料理の工程で文句を抱くことなんか起こりませんでした。食べられないような物を出されたわけじゃありません。味よりも作ってくれたことが嬉しかった。

私の視点ではポテサラ爺のような人間が 「舌の肥えた人ではなく、愛情そっちのけで飢えている人」 に映って見えます。寂しい人間ですね。こうはなりたくない。


  1. からあげは手抜き ↩︎

  2. ポテサラ爺 ↩︎